鎌倉時代に大きく開花し今に至る日本の仏教思想、仏教文化ですが、その礎が中国大陸からの文化流入に会ったことは否定できない事実です。
聖徳太子の昔より、最澄や空海は言うに及ばず、多くの遣隋使、遣唐使がその教えやしきたり、経典を伝え、また鑑真ら多くの渡来僧が命懸けで布教のため海を渡りました。本作では日本仏教と深いかかわりを持ち、多くの影響と交流を紡いだ中国大陸の仏教聖地、名山名刹を紹介します。2000年以上紡がれた日中の歴史にぜひ思いを馳せて戴ければと存じます。
/【監修】中国仏教協会/製作:河南省長城影視文化有限公司 / カラー映像 / モノラル音声
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石壁山・玄中寺
日創建は中国浄土教の開祖・曇鸞大師。曇鸞大師は、親鸞聖人の主著『教行証文類』の中で、念仏の普及に貢献された先師・七祖の一人に数えられる名僧。玄中寺とは七祖の内、道綽禅師、善導大師もゆかりがあり、浄土宗や浄土真宗の祖庭・祖寺として日本仏教とかかわりの強い寺院と云われます。約30分。
廬山・東林寺
世界遺産にも登録される江西省廬山の東林寺。中国浄土宗の祖寺と呼ばれ、約1600年余り前に中国・東晋の高僧・慧遠(えおん)によって創建されました。慧遠は廬山山中の阿弥陀仏像の前で、念仏実践の誓願を立てたと云われます。慧遠の念仏行は日本の称名念仏とは異なる念仏行でしたが、当時の仏教革新の大いなる一歩でした。約30分。
天台宗・国清寺
天台大師・智?ゆかりの古刹、浙江省天台県の国清寺。智?は中国・南北朝から隋にかけて活躍した僧侶で、天台教学を大成し、天台宗の開祖と呼ばれる(異論あり)。智?の弟子・灌頂が隋の煬帝に援助をうけ建立した寺院です。伝教大師・最澄"は智?に連なる道邃の教えを受け、日本の天台宗を開きました。約30分。
長安・大興善寺
中国密教発祥の寺と呼ばれる陝西省西安市(長安)の大興善寺。隋の初代皇帝・文帝(煬帝の父)が建立した。空海は最初この大興善寺に滞在したが、後に大興善寺と並ぶ二大密教寺院・青龍寺の恵果和尚と出会い、青龍寺に移籍したという。日本の真言宗に大きな影響を与えた中国寺院の一つである。約30分。
太白山・天童禅寺
天童禅寺(天童寺)は別名・東南佛国とも称される、有名な禅宗寺院。中国の禅宗五山の第二に列され、太白山の麓、山に依り水に臨む、勝景の地にある。創建から1,000年弱、如浄禅師が住職の頃、日本から道元禅師が来朝。如浄"から洞尚の道を学び、帰国後、永平寺を建立し、日本の曹洞宗を開いたという。約30分。
嵩山・少林寺
「だるま」の語源となった達磨禅師が修行した河南省嵩山・少林寺。壮麗な七堂伽藍に、北西に初祖庵、南西に二祖庵があり、五乳峰中に達磨洞が配される。2010年にユネスコ世界遺産に登録されたている。6世紀初めにインドから来た達磨禅師がこの少林寺で禅宗を開き、中国における禅宗の祖庭と呼ばれる。約30分。
洛陽・白馬寺
河南省洛陽の白馬寺は中国最初の仏教寺院として知られる。後漢末、夢のお告げを受けた皇帝が西域に使者を遣わしたところ、大月氏国でインド僧より仏像を経典を授けられ、白馬に積んで持ち帰ったことから白馬寺と名付けられたという。西域からの経典を漢訳する拠点でもあり、後にその経典が日本にもたらされることになる。約30分。
中国仏教四大名山・五台山(DVD2枚組)
中国の山西省忻州市五台県にある五台山は清涼山とも称され、台内39寺、台外8寺、合計47寺院を擁す古くからの霊山で、中国四大仏教名山の第一に数えられる。漢族仏教とチベット仏教の中国における勇逸の共通聖地で、2009年にユネスコ世界遺産にも登録された。森林および草原が生い茂る中に、907年建立の南山寺、北魏の孝文帝時代創建の仏光寺など多数の山岳寺院が溶け込むように建立されており、仏教文化と自然景観の融合が極めて美しい。文殊菩薩を祀る霊場で、文化的価値のある寺院が多い。約60分。
中国仏教四大名山・峨眉山
芥川龍之介『杜子春』にも登場する中国四川省にある中国四大仏教名山のひとつ、峨眉山。1996年に巨大な石仏『楽山大仏』と共に世界遺産に登録されている。普賢菩薩の霊場で、報国寺はじめ伏虎寺、万年寺、華蔵寺など26もの寺院が、亜熱帯や亜高山帯の森林の中に建立されている。観光地としても、霊山としても愛される名山。約30分。
中国仏教四大名山・海天仏国普陀山
中国四大仏教名山のひとつ、浙江省杭州湾舟山群島の普陀山。観音菩薩を祀る観音信仰の中心地で、四大名山唯一の海上聖地のため『海天仏国』と異名される。霊鷲山の麓の大寺院・普済寺を中心寺院としている。916年、日中を何度も往復した渡来僧・慧萼の『不肯去観音』の故事がきっかけで観音信仰が盛んになったとされる。約30分。
中国仏教四大名山・九華山
安徽省青陽の九華山は、地蔵尊説法した道場と云われ、中国仏教四大名山のひとつに数えられる。新羅の金喬覚和尚はこの地で修業を重ね、入滅後3年の経過の後、棺を開けるが、和尚の顔貌は生前と全く変わることがなかったと云われている。地蔵菩薩が、仏教道教混淆の十王思想と結びつき、閻魔王と一体として死者を裁くとされる。約30分。