宗教指導者であり、平安文化の創造者でもあった弘法大師、空海。
空海の教えは、死してなお、現代に至っても新たなるメッセージを発信し続けている。真言宗各派の僧侶教育の場としても名高い種智院大学学長
頼富本宏氏を講師にむかえ、情報と癒しをキーワードに、不透明、不確実な現代社会に、情報と癒しをキーワードに生きるヒントを探るNHKの人間講座。
※ 全8回 / 200分収録
NHK人間講座 『 弘法大師 空海 』- 平安のマルチ文化人
DVD収録内容
■ 誕生と出家 - 情報から癒しへ -
空海上人には、外向的で積極的な側面と内向的で瞑想的な側面、2つの面があったとで頼富本宏氏は語られる。空海上人の出家までの道のりを追い、空海上人の根源を探る。
■ 入唐求法 - 宗教と文化の二情報 -
土佐の室戸岬にて行に入った空海は、明けの明星が口に入る神秘体験に遇い、仏教の道へ進むことになる。修業中に詠んだ大日経に密教的なものを感じ、中国大陸への渡海を志したという。
■ 密教受法 - 遍照金剛の誕生 -
四国遍路の白装束の背中に書かれている文字、南無大師遍照金剛は、弘法大師、空海上人への敬意を表している。当時の中国では、2つの系統の密教、大日経と金剛頂経の密教が伝わりそれが融和しつつある時代だった。若き空海上人は恵果上人という阿闍梨と運命的な出会いをし、恵果より大日経に基づく胎蔵界、金剛頂経に基づく金剛界の2つの曼陀羅を伝えられ、大日如来の別名、遍照金剛を第3の名前として名乗ることになる。
■ 嵯峨天皇と最澄 - 政治と宗教の理解者 -
空海が中国からもたらした宗教情報と文化情報は、嵯峨天皇と伝教大師、最澄という二人の理解者を引き寄せる。嵯峨天皇は空海が持ってきた漢文、漢詩や筆など文化情報を求め、最澄は密教思想、特に金剛頂経に関する宗教情報に深い関心を持った、
空海と最澄は長らく蜜月関係にあったが、密教一元論の空海と、法華一乗の最澄の間には根本的差異があり、結局二人は袂を分かつことになる。
■ 高野山と東寺 - 空海密教のトポス -
「今、禅経の説になずらうに深山の平地、もっとも修禅によろし」。空海上人の言葉である。
壇上伽藍を中心地に置き、大日如来像を奉る大塔と西塔を建て、金剛と胎蔵、二つの要素を持つ密教世界、それが高野山金剛峯寺であった。一方で嵯峨天皇は、外国からの来賓の宿泊施設でもあった東寺を空海に授ける。教王護国寺と称し、都を鎮護する目的を持つ東寺には鎮護国家思想が秘められていた。
こうして空海上人は、大自然と一体化する高度の癒しの空間としての高野山を以て即身成仏の道を切り開き、、密教の力によって国を護っていく対社会的情報空間としての東寺を得て密巌国土をなし、
この2つで真言密教を体系づけることになる。
■ 著作と思想 - 教理と教判 -
空海上人は、法相宗など既存の仏教と、密教を比較し、弁顕密二教論を展開した。教えを説く仏の性質の違い、説かれる教えの表現法の違い、仏と成仏するために要する時間の違い、教えが生み出す功徳の違い、この4つを密教の優位性としてあげ、密教の本尊、大日如来を真理そのものであると訴えた。空海上人がもたらした真言密教とこれまでの仏教としての違いを明確にし、真言宗の独立性を高めた思想運動でもあり、日本の仏教、思想史の上でも重要な位置を占めると言われる。
■ 曼陀羅と密教美術 - 視覚からのアプローチ -
聖なる仏と俗なる私たち。異次元の存在がどこかで巡り会うことができるという考えに基づき、それを繋ぐものとして曼荼羅や法具が現れる。曼荼羅に関する解説や祖師図、法具についてその役割と思想的背景について語られる。
■ 永遠のいのち - 空海から弘法大師へ -
晩年の空海の業績、綜芸種智院と後七日御修法について、空海上人が生涯を終えることで、弘法大師となり時空を超えた入定信仰を生み出したことを語る。空海上人の足跡より、その特色、総合性・全体性、表現性・芸術性、生命性・異次元性、体験性・実践性について解説する。